裁判例にみる日米の生命維持治療拒否権-概観-/前田正一

 生命維持治療が長足の進歩を遂げ、いままででは当然死亡したような患者の生命を維持することが可能となった。しかし、その一方で、死が目前に迫っているにもかかわらず生命維持治療を施す結果、安らかな死を迎えることができない患者も出てくるようになった。そこに、生命維持治療の差控え、中止の問題が出てきた。今回は、この生命維持治療の拒否権について、日米の裁判例を概観する。

1)アメリカにおける生命維持治療拒否権

 アメリカでは、1976年、カレン事件ニュージャージー州最高裁判決[1] が、はじめて生命維持治療拒否権を認めた。これ以降現在まで、生命維持治療の差控え、中止を認める判決が多く下されている。そして、大部分の裁判所は生命維持治療拒否権を導くものとして、患者の自己決定権ないし自律権を掲げ、その実定法上の根拠として、連邦ないしは州憲法上のプライバシーの権利、不法行為法上の同意原則ないしはインフォームド・コンセントの法理をあげている。

 このプライバシーの権利は、1965年のグリスヴォルド判決[2] によって憲法上の権利として認められたものである。先のカレン事件判決が、「この権利はある一定の条件のもとで婦人の妊娠中絶の決定を許容するのに十分であるのと同様に、ある状況のもとで治療を拒否する患者の決定を許容するのに十分である」[3] と述べて以来、多くの判決の中で、この言葉が引用されている。

 不法行為法上の同意原則は、20世紀はじめ、患者に対し医師が患者の同意なしに治療を行ったならば、その医師はtrespassないしassault and batteryを犯すことになるとして訴訟が提起されるようになったことに端を発し、確立した。その当時までは、いったん診療契約が締結されると、個々の治療行為に対する患者の同意は問題になることはなかったが、その後、裁判所は、患者の同意の重要性を指摘するようになったのである(例えば、シュレンドルフ対ニューヨーク病院協会事件[4] において、ニューヨーク州最高裁判所のカードーゾ判事は、「成人に達し健全な精神を持つ全てのものは、自分の身体に何がなされるかを決定する権利を有しているので、患者の同意なしに手術を行う医師はassaultを犯すことになる」と述べている)。さらに、患者は医師の説明なしには適切な同意ができないことから、インフォームド・コンセントの法理が確立し(カンザス州最高裁判所ネイタンソン対クライン事件判決[5]、ミズーリ州最高裁判所ミッチェル対ロビンソン事件判決[6] など)、このような原則のもと、たとえそれが生命維持のために必要であっても、患者は同意をしない限り治療されることがない、つまり、生命維持治療拒否権を有するということになったのである。

2)わが国における生命維持治療拒否権

 わが国においては、これまで、生命維持治療の差し控え、中止が直接問題とされた裁判例は存在しない。

 ただ、1994年5月、日本学術会議「死と医療特別委員会」は、『尊厳死について』を報告した。その報告書では、「末期状態においても、医療の原点であるインフォームド・コンセントの原理に立脚して患者の自己決定ないし治療拒否の意思を尊重し、患者が選択した生き方ないし人生最後の迎え方を尊重すべきであるということが尊厳死問題の本質である」[7] とし、「医療においてはインフォームド・コンセントの法理が支配すべきであるとすると、意思ないし判断能力を有する患者が末期状態において延命医療を拒否している以上は、たとえそれによって生命の短縮を招くことが明らかであっても、医師はその患者の意思に従うべきであって、それを無視して延命医療を施せば、それは行き過ぎた医療となり、過剰医療のそしりを免れないのであり、患者の求めがある以上、延命医療を中止することは何ら医師の倫理にもとるものではないことを、改めて確認すべきである」[8] としている。

 また、1995年3月に出された横浜地裁東海大学安楽死事件判決は、治療行為の中止についても検討し、それが許容される要件を述べている。そこでは、「治療行為の中止は、意味のない治療を打ち切って人間としての尊厳性を保って自然な死を迎えたいという患者の自己決定を尊重すべきであるとの患者の自己決定権の理論と、そうした意味のない治療行為までを行うことはもはや義務ではないとの医師の治療義務の限界を根拠に、一定の要件のもとに許容される」[9] としている。

 以上、簡単に生命維持治療の拒否権について、日米の裁判例を概観した。ただ、生命維持治療の差控え、中止の問題は、法学だけの問題ではなく、医学をはじめ倫理学、社会学、宗教学など、諸学問領域にわたる問題であり、早急に、総合的、学際的な観点から多岐にわたる議論を行う必要があろう。また、それとともに、人のいのちに関わる深遠な問題だけに、国民的な議論を行うことも必要であろう。(「安楽死/尊厳死に関する基礎資料」もぜひご覧ください。)(2004年7月5日)


[1In re Quinlan,70 N.J.10,335 A.2d 647(1976).(PDF書類)

[2] Griswold v.Connecticut,381 u.s.479(1965). この判決は、避妊薬・避妊具の使用、夫婦への避妊方法の助言・指導等を禁じる州法を、夫婦のプライバシーの権利を侵害するものとして違憲とした。合衆国憲法の文言中には存在しないプライバシーの権利は、この判決においてはじめて憲法上の権利として認められ、続く妊娠中絶を希望する未婚の女性がテキサス州の妊娠中絶禁止法は合衆国憲法によって保護される彼女のプライバシーの権利を侵害するとして争った、Roe v. Wade,410 U.S.113,153,93 S.Ct.705,35 L.Ed 147(1973)で確立されることになる。

[3] In re Quinlan ,70 N.J. 10,355 A.2d 663(1976).

[4] Schloendorff v.Society of New York Hospital,211 N.Y.125,105 N.E.92(1914).

[5] Natanson v.Kline,186 Kan.393,350P.2d 1093, modified on rehearing,187 Kan.186, 354P.2d 670(1960)

[6] Mitshell v.Robinson,334 S.W.2d 11,79 A.L.R.2d 1017(Mo.1960)

[78] 財団法人日本学術協力財団『尊厳死の在り方-日本学術会議主催公開講演会における記録』日本双書, 1990, 115, 96

[9] 判例時報1530号28頁

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