代理出産について――実母とは誰かという問いをめぐって/堂囿俊彦

 昨年から今年にかけて、二つの代理出産[1]が話題となっています。一つは、関西在住の夫婦によるものと、もう一つは、高田延彦・向井亜紀夫妻によるものです。日本人による代理出産自体は、以前から、とくに外国において行われてお り、その実態が明らかになることはほとんどありませんでした。

 しかし今回話題になった二例は、それらの事例とは明らかに違います。その最大の理由は、関西在住の夫婦のケースでは妻の年齢が出産したにしては高かった(50歳代)ために、また高田・向井夫妻のケースではあらかじめ代理出産を公言していたために、出生届けの受理にさいして代理出産の事実がすでに明らかになっていたという点にあります。これによって、「(実)母とは誰なのか」という深刻な問題が引き起こされることになりました。

 わが国の民法における母の規定としては、「嫡出でない子は、その父又は母がこれを認知することができる」という779条の規定が挙げられます。そして代理出産による子が婚姻中の夫婦の間に生まれた子ではない(非嫡出子である)以上、認知(民779-787)によって母子関係を確定することになるはずです。ところが実際上、この認知手続きは認められていません。なぜなら1962年の最高裁判決[2]において、「母と非嫡出子間の親子関係は、原則として、母の認知をまたず、分娩の事実により当然発生する」とされたからです。事実、関西の夫婦のケースについて、法務省はこの判決をもとに依頼者女性を「実母」とした出生届けを不受理としました。

 たしかにこの判決は、科学技術に支えられた代理出産など想像すらできなかった40年以上前のものですし、分娩者を実母とする積極的な理由もほとんど示してはおらず、そのかぎりにおいて疑問が残ります。にもかかわらず昨年出された法制審議会生殖補助医療関連親子法制部会「精子・卵子・胚の提供等により出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する要綱中間試案」では、この考え方が支持されています。理由は以下の通りです。(この他にもう一つありますが、ここではカットします。)

  1. 母子関係の発生を出産という外形的事実にかからせることによって、母子間の法律関係を客観的な基準により明確に決することができる。
  2. この考え方によれば、自然懐胎の事例における母子関係と同様の要件により母子関係を決することができるため、母子関係の決定において、生殖補助医療により出生した子と自然懐胎による子とをできるだけ同様に取り扱うことが可能になる。
  3. 女性が子を懐胎し出産する過程において、女性が出生してくる子に対する母性を育むことが指摘されており、子の福祉の観点からみて、出産した女性を母とすることに合理性がある。

 これらの根底には、「子の福祉」という考え方があるように思われます。すなわち、子に対する愛情をもった人に(3)、親子関係をめぐる争い[3]にまきこまれることなく(1)、他の子と平等なかたちで(2)、育てられることを保障しているわけです。しかしこんなことを言うと、依頼者女性を実母とした場合でも、このような「子の福祉」は実現できると反論されるかもしれません。なぜなら、依頼者女性も子に対する愛情を十分にもっており(3)、親子関係については争いが起きないように制度を整えればよく(1)、代理出産による子も平等に扱われるよう保障される制度を作ればよい(2)からです。

 たしかにこうした反論はもっともです。ただもう一歩、「子の福祉」を突き詰めて考えてみると、そこには親子関係の「継続性」という要素が含まれているように思われます。[4]つまり子の福祉にとり、親子関係の変化は望ましくないということです。そして妊娠期間を通じてすでに代理「母」とおなかの「子」との親子関係が成り立っていると考えるのならば、出産直後に依頼者へとその子を引き渡すことは、やはり子の福祉に反すると言えるのではないでしょうか。もちろんこの「継続性」を出産以前にまで適用することに対しては、法的にも倫理的にも多くの反論が考えられます。しかしやはり、妊娠とはまぎれもなく「育児」なのであり、だからこそ代理懐胎をする女性は「実母」なのではないのかというのが私の考えです。(代理出産自体の是非は、また別の問題になります。)[5]

 反感をもたれた方も多いかもしれません。ただ、倫理学という営みは、あたりさわりのないことを、あたりさわりのないように語ることではありません。まずは自らの信念を言葉に置き換え、ときには砂をかむような議論を繰り返しながら、少しずつ共通の空間を作り上げていくこと(あるいは共通の土台を見出していくこと)なのだと私は考えています。その意味でこの「私見」が 議論の出発点になればよいのですが。(「代理出産/代理母/代理懐胎に関する基礎資料のページ」もぜひご覧ください。)(2004年6月4日)



[1] 代理出産には「妻が卵巣と子宮を摘出した等により、妻の卵子が使用できず、かつ妻が妊娠できない場合に、夫の精子を妻以外の第三者の子宮に医学的な方法で注入して妻の代わりに妊娠・出産してもらう代理母(サロゲートマザー)と、夫婦の精子と卵子は使用できるが、子宮摘出等により妻が妊娠できない場合に、夫の精子と妻の卵子を体外受精して得た胚を妻以外の第三者の子宮に入れて、妻の代わりに妊娠・出産してもらう借り腹(ホストマザー)の2種類が存在する。」(厚生科学審議会生殖補助医療部会「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」平成15年4月)ここで問題にする二つのケースについて、高田・向井夫妻の場合はここで言うホスト・マザー型ですが、関西在住の夫妻は、代理母とは別の女性から卵子を提供してもらう形の代理出産であり、上の定義からは外れます。

[2] 最二小判昭37・4・27『最高裁判所民事判例集』第16巻7号、1247-1251頁

[3] 代表的なものとしては、代理出産した女性が子どもの引渡しを拒否したベビーM事件があります。

[4] 大村敦志『家族法第2版』、有斐閣、2002年、167頁では、「子の利益」の内実として「継続性の原則」が挙げられています。ただしこの原則を出生以前にまで拡張適用するためには、多くの問題を解決しなければなりません。

[5] ときとして代理母問題を「産みの親か育ての親か」といった形で論じる人がいますが、私の考えではこれは間違っています。代理母は産みの親であると同時に育ての親なのです。妊娠期間における母子のつながりを心理学の観点から論じたものとしては、フィリス・チェスラー『代理母――ベビーMの教訓』、佐藤雅彦訳、平凡社、1993年を参照してください。

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