はじめに

 昨今の医療技術の発展に伴い、人工呼吸器の取り外し、代理出産など、これまでの医療の慣習だけでは判断が難しい臨床状況が発生し社会的な議論をよんでいます。さらに、ヒト遺伝子解析やクローン技術、iPS細胞などの最先端科学技術は、難病克服や再生医療といった医療の未来に大きな可能性を示唆する一方で、「人は自らの生命にどこまで介入できるのか」といった、新たな社会的・倫理的問題を生み出しています。このような諸問題の論点を整理し、何が正しい行為であるのかを議論することは、医療倫理学の大きな役割の一つです。

 医療の現場から倫理の問題を切り離すことはできません。それは、医療行為そのものが患者さんの生命、そしてQOL(生活の質)の問題に直結するからです。医療従事者は常に「何が正しいのか」「よりよい判断は何なのか」という選択や決断に迫られます。そして、専門分化や機器等の高度化によって、その選択肢は近年ますます多様性を帯びるようになってきました。

 「倫理はその欠如態においていっそうあらわになる」と言われます。即ち、倫理が無い時にこそ、倫理が必要とされるのです。本項では、医療従事者が遭遇し得る具体的な事例を呈示しながら、医療倫理学の基礎を学んでいただきます。医療倫理とは、医療が行われる際に守られるべきルール、医療のふさわしい行われ方というくらいの意味であり、それを支える学問が医療倫理学です。そして、医療倫理を考えるとは「よりよい医療とは何か」を考えることに他なりません。ぜひ医療倫理学を「知識として知っている」だけではなく、医療現場で実践し、皆様が抱える問題の解決にお役立ていただければ幸いです。

東京大学大学院医学系研究科・教授
医療倫理学分野
赤林 朗

ウィンドウを閉じる