医療倫理学入門 あなたの判断は? 基礎編 医療倫理学エッセンス
倫理学とは何か?

日本語における「倫理」とは、人間模様とか世間風景という、広く弾力的な意味を持っています。狭義には「人と人がかかわりあう場でのふさわしいふるまい方」、「仲間の間で守るべき秩序」…。つまり、社会における人間関係のなかに求められる規則、規範、秩序といった意味合いとなります。
この倫理に関する考察を重ねていく学問が「倫理学」です。倫理学が学問として成立するためには、論理の一貫性があること、知識・見識として一定のまとまりを持っていること(体系性)が必要です。

医療現場の現状と医療倫理

「生命の誕生とは出産か、それとも受精か」「脳は生きているのに、心臓が止まれば死?」「クローン技術は医学の進歩か、神への冒涜か」等々、医療が飛躍的な進歩、高度化を遂げ続けているなか、今ほど医療に「倫理」が問われたことがあったでしょうか。
また、「患者さんの権利」や「インフォームド・コンセント」に対する意識が高まる医療現場では、常に倫理的問題が潜んでいます。このような、現代の臨床現場において医療従事者と患者さんの間を調整するための規範(ルール)等を考えるのが「医療倫理(学)」です。

医療倫理の必要性

私たちが倫理的評価を行うとき、その都度論理的な思考をめぐらせているわけではありません。むしろ、その行為の正しさが直観によって分かるとか、その行為は直観に反するといったように、ものごとを直観的に判断することが多いでしょう。早急な意思決定が求められる臨床現場においても、直観は大いに役立ちます。
しかし、たとえば事故で重傷を負った患者さんが運び込まれたとしましょう。早急に手術と輸血が必要なのですが、患者さんは宗教上の理由から輸血を拒否します。この時、「患者さんの意思を尊重しなければならない」という直観と、「苦しんでいる人を助けなければならない」という直観が衝突する可能性があるのです(倫理的ジレンマ状況)。…臨床現場では、このように、直観に頼るだけでは解決できない問題にも多々遭遇します。
こういったシーンに対し適切に解決するために、合理的に(筋道立てて)考えるためのツールとして倫理理論は非常に重要な役割を果たします。
また、倫理学は、個人だけではなく、すべての人間の営みを対象に、その判断基準を考察するべきものです。しかし、法律や道徳、価値観や美意識に至るまで、ものごとの判断基準は個々によって異なります。その中で、より多くの人が議論を行うには、互いに情報を交換し、認識するための共通の「言語」が必要になります。この言語の役割を果たすのが、数々の学説や倫理理論です。つまり、これらを正しく理解しておくことも大切になってきます。

倫理学の分類

倫理学は大きくは「規範倫理学」と「非規範倫理学」に分けられます。
本サイトにおいて「何が正しい行為か」を問う倫理学とは、下図の「規範倫理学」を指します。そして、その問題解決を試みるための理論を「倫理理論」と言います。
これに対して、「非規範倫理学」とは、倫理の成り立ちや法や宗教との関係、また過去や現在における倫理のあり方を研究する学問です。
倫理理論は図のようにさらに細分化されますが、さまざまな判断を下す際に「何に重きを置くか」によって、帰結主義(功利主義)、義務論、徳倫理が有力な学説として取り上げられ、論じられます。

倫理学の見取図 帰結主義(功利主義)〜行為による結果、最大多数の最大幸福を重視〜

ものごとの帰結、つまり結果を重視する考え方で、代表的なものとして「功利主義」が挙げられます。功利主義は最終的に「最大多数の最大幸福」を究極の目標とし、そのための行為を「善」、すなわち正しい行為とみなす立場です。実際、私たちは常に「幸福」という結果を求め、お金や食べ物、愛等々、幸せをもたらすものや手段を「善」と考えるはず。ですから、非常に受け入れやすい考え方と言えます。
しかし、その一方で、最大多数を優先すれば少数者は除外、排除されます。最大多数が幸福になるためには、少数の人は不幸になってもよい。功利主義には、そんな格差を助長する危険性が秘められていることも確かです。

義務論〜すべての行為は、ルール=義務に従って行われる〜

有名なイマヌエル・カントの倫理学を代表とする学説で、ものごとの結果よりも、きちんとルールに則って行動したか否かによって、行為の正しさを判断するものです。
例えば医療倫理に関する義務としては「約束を守れ」「自律を尊重せよ」「真実を語れ」「人を殺してはいけない」等が挙げられます。カントは、人間は何をおいてもこれを絶対に守らなければならず、例外を設けることは許されないとしています。
もちろん、これには少々無理があります。後の倫理学者の多くは、一応の義務は行動規範として必要であるものの、何が何でも守るというよりは、基本的に義務を重んじ、義務論的立場で行動することが大切であるとしています。

徳倫理〜有徳な人が行ったなら間違いない、正しい行為〜

結果を求めるのではなく、義務に従うのでもない。人は自己の内面にある善意や慈悲心、正義感などによって行動することがあります。このように人間の内面にある「徳」を行動規範とする考え方が徳倫理です。
徳倫理では、その行為が誰によって行われたかが重視されます。つまり、有徳な性格をもつ人が、その状況においてなすであろう行為に一致する場合に限って、道徳的に正しい行為とされます。たとえ同じ行為でも性格や態度に問題のある人物によって行われた場合、非難の対象となる場合があります。

【参考文献】
赤林朗 編「入門・医療倫理」I・II(勁草書房)
赤林朗・大林雅之 編著「ケースブック医療倫理」(医学書院)