日米における生命倫理政策の比較史研究/額賀淑郎

本稿は、平成18・19年度科学研究費補助金基盤研究(c)『日米における生命倫理政策の比較史研究』研究成果報告書のまとめを記したものである。生命・医療倫理人材養成ユニットのアウトリーチ活動の一つとして、これまでの研究成果を紹介したい。

近年、クローン技術、万能細胞研究、ヒトゲノム・遺伝子解析研究など、先端医療技術の発展はめざましいが、それは同時に、倫理的・法的・社会的な問題を伴い、その規制を行う「生命倫理政策」の必要性が訴えられている。その結果、日本では生命倫理政策に関する多くの研究が進展しつつある。しかしその一方で、生命倫理政策の歴史分析は必ずしも多く行われていない。これまで生命倫理政策がどのように形成され、今後どのような課題があるのだろうか。「生命倫理委員会(政府審議会)」は小集団だが公共性が高く、法律や行政ガイドラインなどを通して、生命倫理や生命倫理政策に大きな影響を与えることが多い。「生命倫理委員会」の日米比較史研究を行うことで、日本における生命倫理委員会の特徴を明確にし、その成果を生命倫理政策に生かすことができるのではないかという問題意識をもった。そのため、本研究では、次のような二つの研究目的を設定した。

1)日本と米国の生命倫理政策の歴史的展開を比較する。

本研究は「生命倫理委員会」の役割に注目し、日本と米国の「生命倫理委員会」がどのような審議を行い、法律や行政ガイドラインを策定してきたのか、歴史的事実を比較することにある。日本と米国の代表的な生命倫理委員会を抽出して、生命倫理委員会の委員や事務局スタッフがいかにして合意形成を促したのか、その過程や問題点を分析する。

2)日米の合意形成の手法の特徴を分析し、日本の生命倫理委員会への政策提言を行う。

日米の生命倫理委員会は多くあり、全ての詳細な分析は難しいため、日米の共通の事例として遺伝子治療に関する生命倫理委員会を抽出し、その審議の過程や合意形成の手法を詳細に分析する。また、日米比較の分析結果から、日本の生命倫理委員会における今後の課題を明示し、生命倫理政策に向けて政策提言を行う。日米の公衆生命倫理(public bioethics)や規制倫理(regulatory ethics)の重要性が判明し、その分析枠組として生命倫理委員会の合意形成の類型化を試みた。具体的には、以下のような研究を遂行した。

1.生命倫理委員会の合意形成モデルの構築(第1章)

生命倫理や生命倫理政策において合意形成は重要な課題である。「生命倫理の合意形成」とは、倫理的意見の一致を形成する討議の過程やその結果である。生命倫理の合意形成は多数決原理と一致しない場合があり、合意形成の妥当性に関する分析が必要である。そのため、合意形成の先行研究に基づき、生命倫理委員会における合意形成モデルの類型化を行った。まず、合意形成モデルの前提条件として、生命倫理の合意形成を行う個人・小集団・大集団の分類を行った。その中で、小集団だが生命倫理政策に影響がある「生命倫理委員会(政府審議会)」に注目し、その合意形成の類型化を試みた。その結果、M.ベンジャミンの研究に基づき、「完全合意モデル」「重複合意モデル」「妥協モデル」「多数決原理モデル」という合意形成モデルを提示した。生命倫理委員会の合意形成モデルを「理念型(対象の現実から抽出されて論理的に再構成された分析概念)」として理解することで、歴史研究において合意形成の特徴を分析することができるだろう。

2.日米の生命倫理委員会の歴史分析(第2章・第3章)

歴史的文献調査から、米国の代表的な生命倫理委員会として、「国家委員会」(保健教育福祉省1974-78年)、「倫理諮問委員会」(保健教育福祉省 1974-78年)、「大統領委員会」(大統領府1980-83年)、「生命医療倫理諮問委員会」(議会1988-89年)、「国家生命倫理諮問委員会」(国家科学技術会議1995-01年)を選び、それらの歴史分析を行った。

また、日本の代表的な生命倫理委員会(審議会)として、「科学と社会特別委員会」(文部省1977-80年)、「生命と倫理に関する懇談会」(厚生省 1983-85年)、「臨時脳死及び臓器移植調査会」(総理府1990-92年)、「遺伝子治療に関する専門委員会」(厚生省1991-94年)、「科学技術会議生命倫理委員会」(総理府1997-2001年)を選び、それらの活動や過程について歴史的な分析を遂行した。

3.遺伝子治療に関する日米の生命倫理委員会の事例研究(第4章・第5章)

本研究では、日米の生命倫理委員会に共通する先端医療技術の問題として、遺伝子治療の事例研究を行った。米国では、組換えDNA実験規制から、大統領委員会の審議、NIHの組換えDNA諮問委員会の審査体制、遺伝子治療の国際的拡大という歴史的過程の分析を行った。中でも、体細胞遺伝子治療と生殖細胞遺伝子治療の枠組を構築した大統領委員会を中心に分析を試みた。日本では、生命と倫理に関する懇談会、厚生科学会議、遺伝子治療に関する専門委員会、遺伝子治療臨床研究中央評価会議を事例としてとりあげた。特に、日本の生命倫理委員会において初めて公開審議を導入した中央評価会議の審議過程を分析した。

4.日米の生命倫理委員会の比較分析(第6章)

日米の生命倫理委員会における歴史的過程や合意形成の比較分析を行った。また、日米の遺伝子治療成立に関与した生命倫理委員会の役割を分析した。日米ともに生命倫理委員会の機能が拡大している。日本では、特別委員会から常設委員会へ変化し、ガイドラインや法律を策定する機能が増えている。米国では、大統領制の期限付き委員会が多いが継続的に設置され、科学技術政策や研究に大きな影響を与えている。生命倫理委員会の共通点は、親委員会と小委員会(作業部会)から構成され、報告書を作成することである。合意形成の特徴として、ともに審議原理(重複合意モデル・妥協モデル)と多数決原理モデルを用いていることがあげられる。

両生命倫理委員会の間には、法律の影響を受け、報告書の内容や作業部会の性質において違いがみられる。日本の生命倫理委員会は、政策立案機能が強く、マニュアル型の指針策定に向け報告書を作成する傾向がある。少数の委員とスタッフが世論調査や海外調査を行い、集中的に報告書の原案を作成する。米国の生命倫理委員会は、政策立案よりも調査機能が高く、豊富な資金をもとに多くのスタッフにより複数の報告書をまとめる。学識経験者からなる専任スタッフやコンサルタントを中心に、それぞれのテーマに対応する。合意形成に関しては、日本では、妥協モデルが中心的な役割を果たし、米国では、妥協モデルと重複合意モデルの使い分けが行われていた。

5.まとめと政策提言(終章)

日米の比較分析により、日本の生命倫理委員会は、「政策立案機能」「利害調整機能」「行政調整機能」「個別審査機能」「迅速対応機能」「情報公開機能」を備えることが判明した。日米の比較史研究から、今後の課題として、「調査実施活動」「報告書作成活動」「情報発信(アウトリーチ)活動」「公正選抜」「人材育成活動」を挙げることができる。具体的な政策提言として、「報告書の充実」「独立の事務局体制」「事前審議の試み」「委員選抜の明瞭化」「人材育成の充実」「評価体制の構築」についての項目を示した。本研究は、生命倫理や生命倫理政策における生命倫理委員会の役割を明確にし、具体的な歴史的過程の分析や合意形成モデルの構築に貢献したといえるだろう。

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