院内に倫理的助言者を――道立羽幌病院人工呼吸器取り外し事件をめぐって/前田正一・児玉聡

 事実の概要

 5月14日、各種報道機関は、北海道羽幌町の道立羽幌病院に勤務していた女性医師(32)が、本年2月、無呼吸状態に陥った男性患者(90)から人工呼吸器を取り外し、死亡させていたとの報道を行った。報道によれば、患者は、昼食の際にのどを詰まらせ、心肺停止状態で病院に搬送され、医師による蘇生処置を受けた。これにより心臓は再び動き始めたが、自発呼吸は戻らず、意識不明のまま人工呼吸器を装着された。しかし、患者の長男は「患者は脳死状態」との説明を医師から受けたため、家族と相談した上で、医師に治療中止の希望を伝えた。このため、担当医は、約1日経った翌日のお昼前に、呼吸器を外し、患者はその 15分後に死亡した。なお、病院長の会見によると、カルテを見た限り、呼吸器をはずさなくても1、2時間後には間違いなく心停止していたという。

 この死亡に伴い、医師は医師法21条に基づき所轄警察署に異状死の届出を行った。これを受けて、同警察署は、殺人容疑で医師から事情徴収を行っているとい う。(「安楽死/尊厳死に関する基礎資料」のページを参照)

 院内に倫理的助言者を(『読売新聞』北海道版 平成16年5月20日)

 今回の事例は、治療中止(消極的安楽死)の事例であって、東海大学病院などで行なわれた安楽死(積極的安楽死)とは異なる。1995年の横浜地裁東海大学事件判決は、積極的安楽死が許容される四要件を提示すると同時に、消極的安楽死についても許容される二要件を明示している。一部報道がこの区別を明確にせず、積極的安楽死の四要件を基準にして医師の行為の是非を論じていたことは、非常に遺憾だ。

 何が法的に許され、何が許されないのかの線引きが不明瞭なままの状態では、医療従事者が治療行為の中止について極めて消極的態度を示すようになり、その結果、患者の望まない延命治療が続けられることにもなりかねないからだ。一方では、法的責任を負うことを恐れて、秘密裏に治療の中止を行う者も出てくるかもしれない。

 また、今回、脳死判定が行われなかった点が問題であるかのように報道されているが、東海大事件判決では延命治療の中止に、患者が脳死であるかどうかを要件としていない点も指摘したい。

 仮に、治療の中止を行う際、患者が脳死であることを示さなければならないということになれば、脳死判定に必要な人材や機材を備えていない小規模な医療機関や、多くの高齢者が入院している療養型病床群においては、治療の中止は一切できなくなる。

 今回のケースの最大の問題点は、治療中止の決定を医師が単独に行なったことである。しかし、それは必ずしも医師本人だけの責任とは言えない。治療行為の中止を決定するまでの手順が具体的に定められていなかったことこそが大きな問題である。

 このような重要な医療措置の決定には、病院内に設置された倫理委員会の承認を得ることが理想的だ。ただ、そうした手続きを踏む十分な時間がないなど、臨床の現場の現実をかんがみれば、院内に倫理コンサルタントあるいはリスクマネージャーを配置し、担当医が彼らと相談したうえで、なすべき医療行為を決定することが最低限必要とされよう。

 現在、東京大学大学院医学系研究科の生命・医療倫理人材養成ユニットでは、医療従事者を対象に、医療倫理の講義や模擬倫理委員会による実践的演習を通し てこのような人材を育てる試みをしている。

 超高齢化社会の到来を目前にひかえたわが国にとって、この深遠なる人の命の問題について、早急に現状を明らかにしたうえで、国民的議論を行うことは、不可欠の要請だと思われる。

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